時間配分を変えてみる試み
どっかで自分を変えるなら的な記事を読んで、まず時間配分を変えてみる試み。
とりあえず、仕事は基本、昼からなのでなかなか行けていなかった髪を切りに午前中出かける。
平日の午前中は待ち時間なしですぐいける。これはいい。休日は夕方以降でも混んでいるのだが混雑無し。今の仕事だからできる芸当だ。
夜が10時を過ぎての終業なので夜にどこかに出かけるのは現実的でない。電車という物理的な制限があるうえに、特に最近は店が早く閉店するので居酒屋とかバーとか飲み屋くらいしかいくところがないのだ。
そのぶん、夜を少しだけ早く寝る努力をしてちょっとだけ早く起きるようにすれば午前中にやりたいことができる。
この試みを少し続けてみたい。
FFⅢの思い出
私と同じくらいの年齢であればおそらく同じような経験があると思うのだが、小学生のころテレビゲームをするうえで最大の敵は母親の「ごはんやでー」だった。
小学校入学くらいにスーパーファミコンが発売されたと記憶している。初めてやったファイナルファンタジーはⅣだったが、最初はよくわからなかった。
そのあとⅤをやってなんとなくファイナルファンタジーのやりかたが分かった感じだった。
そんななか、いとこの持っていたFFⅢに小4くらいで触れた。Ⅴと同じジョブシステムを採用しているとはいえ、こちらはアビリティの付け替えができないうえに、パーティー全員が竜騎士で攻略しなきゃいけないなど、ジョブチェンジが必須なゲームだった。
で、このゲームの最大のダンジョンはラストのクリスタルタワーだ。当時のことははっきりと覚えていないが、踏破するのに相当な時間がかかった記憶がある。スーパーファミコンのFFに触れてからということもあり、セーブポイントが途中にないのは正直、絶望的だった。
で、お声がかかるのだ、魔王ザンデを目の前にして「ごはんやでー」と。これからクライマックスに向けて盛り上がるところだ。そんななかで夕食だ。絶望した。ダンジョンを脱出するしかない。
このゲームをクリアするには親を攻略する必要があった。でも、どうやって攻略したのか、私は当時、暗闇の雲を倒したのだ。あれだけの長い時間をかけて暗闇の雲より強い親をたまねぎけんしより弱い私が親を攻略して、画面の向こうの二人の忍者と二人の賢者が暗闇の雲に手裏剣を投げ、フレアを放ってケアルガを合間に挟んで攻略していた。
エンディングもはっきりと覚えていないが、めちゃくちゃ疲れたことは覚えている。
やりこむ気は起きなかった。今、いろいろな情報をネットで見てもやりこむには相当な根気がいるゲームだ。
今は、割と中断しやすい仕組みが整っているのでかつてのような苦労はないだろう。ただファミコンのFFⅢは今でも私の心に残っている。
大学時代を振り返って
このコロナで大学もまだまだオンラインでの授業が続いていたり、対面での授業が再開されたりと大学生にとってはなかなか大変な状況が続いている。自分自身が大学生のときは、ネット回線がADSL中心でインターネットを通じて映像や動画を配信するにはしんどい環境だった。
高校生くらいからインターネットラジオが少しずつ出てきたように思う。思えば四谷式サイバープロジェクトというあまりにも先を行き過ぎて失敗したコンテンツもある。とはいえ、音声メディアが精いっぱいで動画、映像はまだまだ難しい時代だった。そういえば、BSQRと超A&Gが始まったのっていつだったかな。
大学で講義を聞く意義についてだが、正直、担当教員が教科書に指定している本に載っていない情報と参考文献が一番だと思う。
その分野の初学者は何から手を付ければよいかはわからない。私も大学時代に経営学を勉強した身だが、講義を聞いて初学者向けの本を知り、それを読み各分野の先端を行く先生をしり、その人たちの著書を読んで勉強していた。
教科書をなぞるだけの授業なら、大学ではいらないと思う。大学に行くくらいの年齢なので、教科書を読めば済む話だ。対面なら教科書の分からないところを聞くということはできるので、講義に出る意味はある。教科書をなぞるだけで質問もしないなら出なくてもいい。昨今は出欠も厳しいらしいが。
大学の教員はその道の専門家だ。塾の仕事をしていると分かるのだが、「先生」と呼ばれる職についている人は基本、しゃべりたがりだ。教科書のことを少し聞いてあげればいくらでもしゃべってくれるとおもう。そういうところが大学の教員を「うまく使う」方法だと思う。
あとは図書館さえ使えればいい。街の図書館と違って、専門的な書物が多いのが特徴だ。だから、とりあえず図書館に行って参考文献を検索システムで検索すれば、大体は引っ掛かる。
大学に通わせろという人たちはおそらく「私の思い描くキャンパスライフ」がしたいのだと思う。ただ、私は学費を図書館と専門家に払っていると思っている。だからオンライン授業でも図書館さえ使えて、各教員のオフィスアワーさえあれば、十分だと思う。サークルやその他の活動は副次的なものなので、おまけみたいなもんだと思っている。
とはいえ、人間はコミュニケーションを直接とらないとつらい生き物なので、その辺はうまく担保する必要はあると思う。直接、人と会えるという状況はどうしても必要だ。
私が今、大学生だったらどうしていたかを考えている。家にこもって本を読んでいるんじゃないかと思う。なんせ、半年前なら「家に居ろ」と言われていたし、今もオンライン授業が継続されているなら本を読んで勉強できる。こんないいチャンスはない。しかも当時に比べてネットショッピングもだいぶ、便利になった。10年前でもアマゾンでの配送は早かった。が、今は下手すれば当日に届く。参考文献を提示されてそれを注文すれば、すぐに届くのでさっそく読める。
4年の時は授業を全く履修せず、ゼミだけだった。逆に言えば、学費を図書館とゼミのためだけに払っていた。でも図書館を使い放題だ。ほかの仲間と目指すことがあったのでそれに向けて図書館と自宅の往復だった。今は、申請すれば大学の図書館を使わせてもらえるが、それでも使える範囲が限られているのでかつてほどの自由はない。
後悔は、それなりに勉強したつもりだがまだまだ勉強しとくんだったいうことである。
行動を変えてみようと画策する
ちょっと行動を変化させてみようと考えている。
具体的には朝、図書館へ毎日、行ってみようと考えている。理由は新聞を読みたいからだ。
ネットのニュースサイトだけではどうしても物足りないのだが、新聞購読料は少々、高い気がする。
あと、図書館だと新聞を数誌、読めるので同じことでも客観性が保てるように思っている。
問題は、朝起きるのがめんどいことだ。
Vステの番組表を見ていて思うこと
かつて「宮村優子の直球でいこう」を聞いていたころ、ラジオ大阪は多くの「アニラジ」が放送されていた。
瞳と光央の爆発ラジオ、國府田マリ子のGM etc. たくさん聞いていたなと。
この秋からのOBCの番組表を見ていると、日曜日の24時以降が放送休止になっている。最近のOBCはDGSとスマイルギャングだけになってしまっているが、かつての輝きがもはやないというくらいOBCのアニラジは放送が少なくなってしまっている。
かねやん氏が退職したからなのだろうか。
かねやん氏は独立した会社の方で私がVステをたくさん聞いていた時代の人たちをよく起用しているようだ。宮村優子さんや岩田光央さん、國府田マリ子さんなどなど。
私くらいの年齢になるとそれなりにお金が自由になるということが分かっていらっしゃるのか、月額の課金によるビジネスをしていらっしゃる。外からお金を出してくれるスポンサーを探してくるのではなく、コンテンツにお金を払ってくれる人にお金を払ってもらうことで番組を成り立たせるビジネスを行っている。
インターネットと現金以外の決済方法の発達、普及によりコンテンツにお金を払ってもらいやすくなった。
かねやん氏といえば、かつては番組グッズを作ってそれの売り上げを元に番組を成り立たせていた人だ。コンテンツへの課金というものの先駆けだったように思う。
そして、業界内ではいろいろと顔が利くようである。
そんな人物がいなくなったせいか、Vステの番組はさみしいものだ。もはや地方のいちAM局ではないか。
今日のオリックスバファローズをみて思うこと
連敗脱出のオリックスバファローズ。中嶋監督代行は選手をよく見て適切に褒められるリーダーだと思う。
大下誠一郎選手については昨日の試合の代打での打席を見て、いけると判断したというし、若月選手についてはリードをしっかりとみて褒めているし。
若月選手についてはしばらく伏見選手にスタメンを譲っていた状況が続いていただけに、ベンチでいろいろと考えたり監督代行に教わったりしたのだと思う。
中継見てても佐野選手と何か喋ってるのをよく抜かれているし、選手にもよく声をかけているように見える。
明らかに雰囲気が違って見えている。ベンチが明らかに明るい。
今年こそ、日本シリーズはおそらく巨人主催のものが京セラドームで行われるものの、来年はオリックスバファローズ主催で行われるということを期待できそうで楽しみだ。
誠実に対応してあげてほしい
昨日の続き。
件の彼だが、社長などの社員の上司にあたる人たちから割と冷たくあしらわれている。それまでの経緯は彼も悪いのだが、それでももう少し誠実に対応してあげてほしい。
彼の言っていることが100%事実だとは思わないが、彼の訴えに対しての対応に誠実さがないのは伝わってくる。その対応、お客さんにもしてないかという疑問すら出てくる。
いくら彼のこれまでの行動でマイナスの方が大きいとはいえ、将来的に彼も顧客になる可能性があるということを認識していないのではないか、また間接的に悪評が広がるのではないかという懸念をしないのだろうかという疑問が出てくる。
過去1年で私を含めて半分の社員が入れ替わっている会社だ、その原因がそこにあるという発想は出てこないのだろうか。いくらアルバイトでも対応を間違えてはいけないのだ。
もはや関係者ではないので口出しはできないが、そこを去って正解だったと思わせるような出来事が起きているので、その会社は長くないかもしれない。
悪を見過ごせない正義感と生きていきづらさ
もう関係者ではないのに、前職のアルバイトから相談を受けた。なんでもほかの未成年のアルバイトに社員が酒を飲ませたということで憤り覚えているとのこと。飲まされたのはそのアルバイトの彼女だというのだからなおさら憤っているのだろう。
本人も飲むこと自体は嫌がってはいなかったと周りから聞いてはいるようだ。その本人は吐くまで飲んだらしい。
良識ある大人であれば未成年が急性のアルコール中毒にでもなった場合のリスクを考えるのだろう。またこのご時世だ、大人数での会食は感染症対策の観点からリスクがある。
仕事がら未成年を預かる仕事なので未成年者を相手でそれがアルハラであろうとなかろうと飲ませてアルコール中毒になった、コロナウィルスに感染したということになれば決していいことはない。
それくらいのことは想像がつき、相談してきた彼もまたそう思っていた。
ただ彼はその正義感でつっこんでいってそのバイト先ではあまりいい印象を持たれてはいない。長くやってくれているがそれは私を含めて昨年までいた社員たちがそれなりにいろいろ対応した結果でもある。
今後、彼は生きづらさを感じる。大人たちは間違ったことをしているように見え、それを周囲は看過しているように見えてしまう。かつて私もそうであったように。
何かあってからでは遅いのだが、彼の言葉を聞いてくれる人たちは今の彼のバイト先にはいない。普段から「うまくやる」ことができていれば聞いてもらえるのであろうが、残念ながら持ち前の正義感が許さないらしく「うまくやる」ことが難しいようだ。
このことに気づくには少し時間がかかるだろう。来年、彼は就職して社会人になる。多くの大人たちは子供の頃に見えていた大人と違って理性的でないし知識が豊富なわけでもない。すごい大人なんてほんのわずかであることに愕然とするかもしれない。子供のころにすごく見えたのは経験の差から出てくるものだけだった。長く生きていれば蓄積されるもの、その差ですごく見えていただけだ。
彼が就職した先で大きな正義感を燃やしてすぐにやめることのないよう祈りたい。やめるときは十分に考えてほしい。でないと生きていきづらさが増すだけだ。なんせ、おれがそうだったから。
自分が信じた正義は相手にとっては正義でもないし何なら正義なんて持っていない人もいる。学校という狭い空間や学力で評価される世界だと見えないものはたくさんある。
彼は都市部の国立大学に合格する程度には勉強はできる。決して頭が悪いわけではない。時には自らの正義を捨てたほうが良い時があるということを学んでほしい。
そしてこの言葉は自らの胸にも刻んでおきたい。
Google の To Do リストがリマインダーを兼ねるようになったのはうれしい
GoogleのTo Doリスト。いつの間にか繰り返し設定と通知が来るようになっていた。繰り返しは本当にうれしい。いままで何度も同じタスクを入力していたのが、手間がなくなった。
時刻指定すればリマインダーも兼ねてくれる。ありがたい。今までスマホだとカレンダーのリマインダーとTo Do リストを往ったり来たりしていたのが、ワンストップで済むようになった。
スマホのカレンダーにもTo Doリストが表示されるのでスマホだけでできることが増えてありがたい。
自分はPCメインで入力はするけど、必ずしもPCの前にずっといるわけではないのでスマホにも通知を送るのに苦労していた。
ますますGoogleから離れられなくなった。